2018年1月11日木曜日

ひさびさの投稿

朝ごはんの食卓での会話である。いきなり浴びせるような、母からの
「あたしは今日出かけるからね!」
は?別にいいけど。どうぞどうぞ。というか、だから、なに・・?

 実質、家の家事をやっているのは私だから、母には何もしてもらう必要はないし、今更親がいなくて寂しいなどというのは、小さい子供でもない限りないわけだし、突発的にわからないことがあったら、後からきけばいい。いなくても99%困らない。

 だからなに・・?とっさには、正直、「出かける」ということをそんなにアピールしたり自慢したいのだろうか?という反応しかこちらはできない。

 あえて、きちんと考え直すことを務めてみると、2階の部屋にこちらがいると、完全にくぐもってしまった母の声では、届かない場合が多いので、だまっていなくなることを避けるがための通達なのだろう、と理解できる。十歩譲って母の立場に立って考えてみると、自分の実情を伝えたいがための精いっぱいの伝達なのだろうと思える。
 が、相手にどう言えばきちんと伝わるか、気持ちよく伝えられて、わかりやすいのか、それを考える神経が欠如しているのだ。事情を理解しない人からは、「理解しにくい変わった人。へんな人。」で終わると思う。



 流行語を使って反論してみた。一つ伝えたいことがあっても、それを発信することしか頭になくて、どういう風に言えばいいかとか、何の忖度(そんたく)もしていないよね? 「出かけるからね!」とか言っても、こちらは真意がまったく読み取れず、だから何?としか思えないんだ、と。バーバがアスペルガーという由縁はそこから来てるんだよね・・、云々。

 相手がどう思うか、どう理解するかについて、相手ありきの対応ができない。
だから、自閉症の一種である、高機能自閉症だろう、と思っているのである。

 偉そうに自分の親をアスペルガー分類したうえで、本人に宣告もして、至らない部分をはっきりと指摘する。何様のつもりだと自分でもいやになりかねない言動だが、アスペルガーというのは、健常者が望む配慮がわからないし、実行することも難しい。なので、わかりやすく具体的に、はっきりと言わないと、相手の感覚神経に伝わらない。

 以前どこかの番組でも紹介されていたが、発達障害の人の感覚機能が、いくつかの点として点在していて、一つ一つがつながっていないため、そこだけしか知覚できずに感覚が働かないから、他への目配りが苦手なのだ、ということのようだった。視野も狭まってしまう場合があるとのことだった。

 まさに母親にはそれが当てはまっている、と思ったので、さらに確信に至っているのである。
 経験によって、こうすればいいという知識が、より良い対応と人間関係を補っていくため、若年期より中高年期のほうが、まだ人生が過ごしやすくなる。それは、まさに母の人生経験に当てはまっていると感じる。
 空気を読んだり臨機応変、といった人間関係については、基本的にはあまり上手ではないが。

分析指摘しても、母は当事者なので、どう改善すればいいのかわかるはずもない。失礼な言い方をするが、それができるほど研究熱心でも聡明でもない。
 仕方ないので、具体的に指示しておいた。
「次からは、出かけるからね!ではなく、何時にでかけるよ、とか、今日は歩行器(パーキンソン病による歩行難のため)を階段下に降ろしてほしい、とか具体的に言ってくれる?」




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