2016年8月1日月曜日

このブログは

母に関する記録的なものです。

久しぶりに実家でしばらく一緒に住むようになった母を、こちらも社会人経験・結婚・子育てを経て大きく変わったために、娘時代とはうってかわった見方となり、複雑な気分で受け止めているが、できるだけ感情的にならないよう、注意しながら記録していこうと思う。

短気と物忘れに注意

今日は都知事選で、投票に出かけていった母。私は住民票を移していなし、それのために手続きをとろうとも思っていないので傍らで見ていた。

雨が降るとの天気予報で、あわてて出かけていこうと思ったらしいのだが、「急いで出かけるから」と一言、言ってくれればいいのに、やたらと会話の途中から言葉がけが一方的になり、イラつきだしてきた。

いつものネットスーパーでの注文画面を一緒に見ていたので、今度は落ち着いて注文してくれるかなと思ったら、xxは、いるよ!xxは、いらない!と、こちらの反応もろくに見ないで語気が荒くなり、一方的になってきた。どうしてそうなのだろう、と思って「なら、自分で注文する?」と言って母をみたら、本人は、ただただ、あわてている。これがもし他人だと、言葉が足りなすぎて理解されず、ただの「感じの悪い人」に見られかねない。





雨が降り出したために、スーパーに行って夜ご飯の食品を買ってきてくれると言っていたが、行かないことになったらしい。そのため、じゃああとで買い物に行こうかな・・、と私が言うと、「家にカレーのレトルトが置いてあるから、それにしたらいいじゃない。家にあるものを使いなさい。」などと説得してきたのである。買い物の手間も省けるので、まあ今夜くらいはそれでもいいか、と妥協した。

帰ってきた母は、眠いので仮眠をとるといって数時間昼寝をした。それで忘れてしまったのだろうか。起きてから私に、夜ご飯はどうするの?と聞いてきた。え?だってカレーにしろって言ったじゃないの。だからそうしたのに、と言い返すと、「忘れちゃった。」・・、自分の言ったことを忘れてしまったようであった。

頼むから、まだ、ボケないでよ、と懇願したら、ボケたって家で生活できるんならいいんじゃない、と気楽に言うから、それは違うよとクギを刺した。
 起きうる問題について、想像することができない、というのも認知症の一つなのだろうか。たとえばだが、ガスの火をつけたまま出かけてしまう、というのもボケ症状だとすると、危なすぎて、一人での生活は、もうできないのだ。